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目標は高い方がいい! 日曜日(2001.2.4)の木津川マラソン以来、自分がめざすことに対し、どこに目標を置けばいいかを考えている。結論から言えば、「目標は高い方がいい」と思うのだが、果たして正しいのだろうか・・・。 今回の木津川マラソンは、昨年のエントリー時点では、もっとしっかりとした練習ができると考えていた。少なくとも3カ月くらいのスパンで、段階的な練習をこなした上で、レースに臨むはずだった。途中、12月に守山ハーフを走り、その結果を活かしながら、さらに練習をして、2月4日の本番を迎えるつもりだった。 当然、目標としては前回の初フルの記録を更新し、4時間以内を狙えると踏んでいたし、絶対に手が届かない目標ではなかった。 ところが、自治会の仕事が予想以上に大変で、頸椎を痛め、その治療で走れない日が続いたので、当初の練習予定が大幅に狂い、やっとの思いで守山ハーフを走りきり、新年を迎えた。1月になって、少しは余裕ができるかと思ったが、いったん狂った歯車はなかなか元には戻らず、何度か、この日記にも書いたが、いわゆるスランプというヤツに陥ってしまって、ますます走れない日が続いた。 そして迎えた、木津川フルマラソン・・・。 最初から、こんな練習しかできないとわかっていたら、もちろんエントリーなどしていないし、走ったとしても、せいぜい20キロどまりだっただろう。この日も、一緒に行ったようこさんが20キロに出場したので、なお一層、「僕も、その方がよかったかなあ〜」なんて思ったものだ。しかし、せっかくの大会を棄権するにはもったいないし、途中でやめてもいいから、とにかく走ろう・・・というわけで、不安ながら、半ばやけくそ気分でスタートラインに立った。 走りながら、いつ身体がダメになるか・・・。その時は、どうやってやめようか・・・。そんなことを何度も考えた。でも、不思議に「もうやめるんだ」という強い諦め気分は出てこなかった。 それはなぜか・・・。 諦めるより先に、すでにやけくそになっていたからだ。その時の自分から考えれば、フルマラソンはあまりにも大きな目標過ぎて、それに対し、冷静な分析というか、「自分がこうだから、こうすべきなんだ」なんて、その時点でちゃんとした対応ができない状態になっていたわけだ。ここでいう<ちゃんとした対応>というのは、別にそれが正しいという意味ではない。普通の自分が考える、当たり前の判断・・・ということだ。 でも、よく考えてみてほしい。何か自分が目標を達成しようとする時、いつもの当たり前で、それができるだろうか。容易に達成できないから目標なのであって、それを達成するためには、いつもような自分ではダメで、普通じゃない、非日常的な部分が、絶対に必要だ。そう考えた時、半ばやけくそになっているという状態は、普通の自分を通り越しているわけで、そこで考えること、判断や対応、身体の反応は、非日常に自分を置いてのことだということになる。よって、そこにふだんでは生じないようなパワーがわき起こり、ことによっては信じられない結果を生むことになる。 今回のフルマラソンは、そこまで大きな目標というわけではなかったが、その時の自分の状態から考えれば、かなり大きな目標だったことは間違いない。何の気兼ねもなく変更できたり、やめられたりしたならば、決して走ったりはしなかったなずだし、それに挑むのが怖かった部分も、けっこうあった。でも、だからやれたんだということも、また事実なのだ。簡単に変更でき、さほどの恐れも感じていないのならば、適当にやってしまい、最後は放棄してしまうことだって、あったかもしれない。目標が低いと、往々にしてそういう結果を招くことになる。怖くないからだ。 自分にとって、達成できないほどの高い目標・・・。 それを前にしたとき、恐れ、おののき、身がすくむ。でも、同時に真摯な態度、敬虔な意志も生まれる。やけくそというと言葉は悪いが、結局のところ、その目標に向かう姿勢が純粋だということだ。 そう、目標は高いほどいい・・・。これは、紛れもない真実だ!! |