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カオルを変えたのは、大介の「やさしさ」だった
十七歳のとき、私は「みにくいアヒルの子」だった。
私はなんにも知らなかった。自分が何を求めているのか、何をしたいのか、何をいちばん、どう考えているのか、それさえも・・・。
私が十七歳のときにも、早熟な女の子はいたし、ねんねもいた。私はそうしたクラスメートにかこまれて、しかしそのどちらでも―ませて口紅をこっそりつけて夜の町をうろついたり、まだ父親と一緒にお風呂に入っていたり―そのどちらでもなかった。私の魂は、まだ眠っていた。しかし、自分のすべて―容貌、才能、成績、人に好感をもたれるかどうか、人望、自分の性格のよさ、先の見とおし―そのすべてに自信をもっていなかった私は、すでに漠然とした悲哀とやるせない困惑を知っているという点で、世の中が思いどおりにゆかぬものだと知らされた娘になっていたのである。
高校時代の私は、陰気で目立たない、というより目立たないようにつとめようとしている、沈んだやせっぽちの小娘だった。そのころの私をしか知らない友達は、いま街で、華やかな色あいを身につけた私にぶつかると、「まあ・・・あなた、カオルさん? ほんとにカオルさん?」と絶句する。
私を変えてくれ、卵の殻の中からひっぱり出し、むりやりに、私の中にかくれていた本当の私―激しく、自分を信じ、大胆で、なみはずれて好奇心にみちた女性をひきずり出してくれたのは、ある青年との出会い―偶然の、そして運命的な出会いによるものだった。その青年を私が恋したというのではないが、それよりももっと親密な、あたたかく力づよい感情の交流でもって、彼は私を変え、そしてはげましつづけて、いまあるような、若い女流作家への道へと押し出してくれたのである。
私は「みにくいアヒルの子」だった。そして、これは、私が最初に彼と共にした冒険の1ページめ・・・私が十七で、彼が二十四の年の物語なのである。
さて、少し長い引用になってしまいましたが、これは、栗本薫さんの小説『優しい密室』のプロローグの部分です。栗本さんといえば、乱歩賞を受賞した『ぼくらの時代』でも有名なので、みなさんの中にも彼女の作品を読んだ人がいるかもしれません。
彼女の作品が多くの読者を得ているのは、いつまでもフツウのオンナノコの世界を忘れないからだといいます。自分は他人と違うと思っていても、それをはっきり示すことができないもどかしさ。何事もないように日々が過ぎていく周囲へのいらだち。その中での人との出会い・・・。この『優しい密室』にも、そんな、男女を問わず若者なら誰しも一度は経験する青春期特有の心理が、推理小説の形を取りながら、主人公・森カオルの十七歳の気持ちを通して描かれています。
世の中の矛盾が少しずつわかりはじめ、納得がいかない反面、仕方がないと思う気持ちをどこかで感じながら、人間関係の難しさに悩む思春期・・・。たぶん、高校時代はそのターニングポイントといえるのでしょうが、みなさんの中にも、同様の思いを抱いている人がいるようです。不安になったり、自分を変えなくちゃと思うあまり、落ち込んで何も手につかない状態になっています。
それをどうやって解決していけばいいのか。誰に助けを求めればいいのか。「それがわかったら苦労しない。わからないから悩んでるんでしょ・・・・」なんて声が聞こえてきそうですが、やはり、それを解きほぐす鍵は“人”にあるのではないかと思います。
カオルの場合、プロローグの部分にあった「私の中にかくれていた本当の私をひきずり出した青年」とは、探偵・伊集院大介でした。「何か、胸にしみ入るようなやさしさ、ほのぼのとしたぬくもりのようなものが、彼のはにかんだ笑顔から、太陽のように放射されて・・・」。この小説で、フツウのオンナノコだった森カオルを変えたのは、その「やさしさ」でした。
みなさんの場合だって同じだと思います。自分を取りまく、いろいろな“人”の心に触れ、自分を見つめ直すことで、新しい道が開けるかもしれません。“人”は、違った角度から物事を見ることを教えてくれます。みなさんの先輩たちの多くも、そんな「人とのふれあい」の中で自分を見つめ直し、幾多の困難を乗り切ってきました。
時はゴールデンウィーク。とは言っても、みなさんにとってはクラブの練習に明け暮れる毎日なのでしょうが、ちょっと心を一休みさせる意味で、『優しい密室』の森カオルに出会ってみてはどうでしょう?

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