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  もし「明日の朝、死ぬ」と言われたら、あなたは・・・


 いきなり物騒なタイトルをつけてしまいましたが、阪神大震災や北海道のトンネル崩落事故などのことを思うと、自分だっていつ何時そういう目に遭うかもわからない・・・という気がしてきます。もちろん、そんなことが現実にあったら大変なことですが、もし、仮に、「あなたは明日の朝、死ぬのですよ」と言われたら、みなさんはどうするでしょうか。
 禅と日常のかかわりをとらえ、第98回芥川賞を受賞した三浦清宏さんは、発表後の記者会見でこのことを引き合いに出し、私なら黙って『飯を食う』とおっしゃっています。「黙って〜する」という言い方そのものが禅的だということだそうですが、要するに飯を食い、眠り、朝起きたら顔を洗って「おはようございます」と言う・・・。つまり、朝、死のうが死ぬまいが、やることは同じだというわけです。逆に言えば、人間、いつ死んでもいいように生きていなければダメなんだということでしょう。なるほど、そうに違いありません。でも、そんな完璧な生き方って、いったいどんな生き方なんでしょう。
 さらに、三浦さんの話は続きます。いつ死んでもいいように生きるということは、何も特別なことをするわけじゃないのです。会社員は会社の仕事をし、商売人は商品を売り、農家は田畑を耕し、学生は勉強をする。そういうことなのです。でも、一生懸命やらなければなりません。いつも一生懸命に。その時だけ一生懸命になっても仕方ありませんから・・・。人間は、急に価値のある仕事ができるということはありません。一夜のうちに、普通の人間が英雄や聖人になるということは無理な話で、思いがけない成功があったとしても、それは今までの水面下の努力の蓄積によるものだと思います。私の言いたいことは、日常生活を一生懸命生きるということです。いくら一生懸命生きていても、悔いは出てきます。人間、悔いのない生活などできるはずありませんから・・・。いつも失敗し、後悔し、迷いながら生きていくのが人間なのですから・・・。
 なるほど、言われてみればその通り、納得のいく話です。要するに、自分の“生きる姿勢”の問題だということですね。結果のみを考えて行動するのではなく、どういう結果になるにせよ、とにかく一生懸命に取り組むこと。それが大切だとおっしゃっているわけです。一生懸命に生きていれば、それなりに満足感(幸せ)を感じることができる。それが、いつ死んでもいいように生きることにつながるということなんですね。
 さらに、最後にこう言って三浦さんの話は終わりました。“昨日できなかったことが、今日できるようになった喜び”、それを重ねていくだけなんです。それを目標に生きていくだけなんです。突然、死によってそれが中断されるかもしれませんが、それは努力とは関係のないことです。人間、死ぬときは死ぬ。ただ、その時まで、いかに迷い、悔やめども、とにかく一生懸命努力を続けることです・・・。
 どうでしょう。わかってもらえたでしょうか。とくに最後の『昨日できなかった〜を重ねていくだけ』っていう考え方。単純なようだけど、すごくいいと思いませんか?