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あの頃・・・、過ぎ去った大学時代を思う
今日は、僕の大学時代を振り返って、少しばかり話してみよう。
数年前、懐かしい声の便りに誘われるように岡山の地を訪れたことがある。
「いつものところ・・・。そう、あそこで10時に・・・」。その時の、久しぶりに再会した友人の顔を見た瞬間に感じた、気恥ずかしさにも似た心の動揺は、すでに大学時代が過去のものとなってしまった現実を忘れさせてくれるに十分なほど、当時の生活が、いかに心の動きに素直で、裸の自分をさらけ出していたかを実感させてくれた。
思えば、岡山で大学時代の4年間を過ごすことなど、全くの偶然だった。希望していた大学受験に失敗し、3月も終わりに近づいた頃、すでに進路が決まったクラスメイトを横目に、受験のために初めて降り立った岡山駅。山陽新幹線が開通し、関西資本がどんどん押し寄せて都市化していく中で、周囲のビル群や派手な色彩の看板に、道行く人がまだ馴染んでいないような、そんな奇妙な感じが第一印象だった。もちろん、この地で4年間、親元を離れた自由な自分が、あれほどまでに充実した日々を過ごせるだろうとは、その時、想像さえしていなかった。
それが今、こんなふうに懐古趣味にかられながら、岡山での生活を思い出している。
岡山での大学生活は、“感覚即行動”なんて言葉がピッタリくるような、思い立ったらすぐに行動する毎日で、明日の利益や自分の損得なんて、まるで問題じゃなかった。時間さえ、自分の意のままになるような気がしていた。まわりにいる仲間も、みんな親元を離れて来ているわけだし、帰るところは自分の心しかないから、誰もが素手で身をつなぎ、裸で心を通い合わせることができた。
時に、見ていられないような醜態をさらしたこともあったし、「よくもあんなことを・・・」と思えるような冒険もあったが、その一つ一つの経験のすべてが、今の自分の考えや行動の奥深くにしっかりと根を張っている。弱音を吐きたくなった時、その頃の自分の姿を思い出せば自然と力が湧いてくるような、そんな心の支えとして、当時の自分の姿は、今の僕自身の中に深く刻み込まれてしまっている。
単に、懐かしいからあの頃の生活に戻りたいとか、自由で楽しかったからもう一度ということじゃなく、「あの頃の自分は、あれだけのことをやれたんだ」という自信みたいなものが、ここ最近になって、ようやく現実のものとして行動の中に表れてきたのも、そんな影響からだろう。
あの通りの角の、あのビルの地下の・・・。4年間という、長いようで短かった時間ではあったが、訪れる度にあの頃の自分を思い出させてくれる景色もたくさんある。
今回の場合も、懐かしい声で「いつものところ・・・」って言われた時、その店の小さな木の扉を開けて入っていく自分の姿が、まるで現実の情景のように脳裏を駆け巡っていった。
その店は『白樺』という名の小さな喫茶店で、初老の域にさしかかった夫婦が慣れた手つきでコーヒーを入れてくれる。表町(おもてちょう)と呼ばれる、京都でいえば京極のようなアーケード街の一歩裏通りを入ったところにあって、昔ながらの木の香りのする、お気に入りの場所だった。ビルのすき間にちょこんと建っているような感じで、中に足を一歩踏み入れた時の、ほのかな暖かさが好きで、よく足を運んだ。決して華やかさはないが、壁やテーブルに刻まれた落書きに、ずっと以前から自分と同じような気持ちでこの椅子に座った人がいたんだなあと、変に共感めいた親近感を覚えたことを今でも思い出す。 そういえば、この店で、ある人とずいぶん長い時間、話し込んだこともあったっけ・・・。一人で物思いにふける場所だったはずなのに、その時以来、誰かとゆっくりと話す場所にもいいなあと感じたことも思い出される。
そんな岡山でのいろいろな光景。それが自分だけのものでないことはよくわかっている。そこには、さまざまな人たちがそれぞれの思いを胸に生活していて、自分の存在なんて、その場のほんの何十分の一にも満たないのが現実だろう。でも、自分の心の中では、誰が何と言おうと、自分のための、自分だけの景色として、いつまでも大切にしたい気持ちに変わりはない。
過去を振り返る時、それがどんなに辛く苦しいことであっても、思い出として語れば美しい言葉で埋め尽くされてしまう。「あの頃はどんなに辛かったことか・・・」などと言ってみても、しょせん今の自分はそれを乗り越えてきているわけだから、醒めた目で眺められる。過去なんて、すべて、悪いことは消し去った形で、心の中に残されていくものだ。そうしないと、心がパンクしてしまう。
でも、今の自分があるのは、今までの自分あってのものだってこともまた事実だ。あの頃の自分の考え、行動のすべてが、今の自分をここまで大きくしてくれた原動力であることは間違いがない。そして、そう思うと、今度は、「今の自分を決しておろそかにしてはいけない」、「今を無駄にしてはいけない」、「精一杯生きなくちゃいけない」という気持ちになってくる。
あの頃に戻りたいなんて考えたって無理な話で、現実にそんなことができるはずはない。あくまでも、過去は自分の心の中で生き続けるものに過ぎない。そこから生まれ続けている“今”をもっと大切に、かけがえのない“今”を精一杯に生きたい。
みなさんの中にも、中学校の方がよかったなどと、過去に救いを求めようとしている人がいる。そんな人に、ぜひこのことを伝えたい。

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