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学級通信

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●学級通信




  今日で一応最終回・・・わが人生の「動」と「静」(その3)


 半年間の入院生活にピリオドを打ち、昭和58年の春に他界した母。葬儀の日、当時担任をしていたクラスの生徒の代表が遠方にもかかわらず参列してくれた。その手には千羽鶴が…。4月に入学して、まだそんなに日も経っていないのに、担任の知らないところで鶴を折っていてくれたなんて。
 「ごめんなさい、願いが通じなくて…」。そう言いながら渡してくれた時、それまでこらえていた涙が止めどなくあふれてきた。今思うと、たくさんの人がいる前で男が泣くなんて恥ずかしいことだったが、その時ほど生徒の純粋さ、思っていてくれる気持ちのありがたさを感じたことはなかった。先生(担任)っていいもんだ、先生をやっていてよかった…。状況が状況だけに、そういった気持ちが必要以上に増幅されたのかもしれないが、先生という仕事の素晴らしさを感じさせられた出来事だった。それと同時に、こっち(先生)も、生徒に対して一生懸命ぶつかっていかないと申し訳ないなあということを改めて感じ、深く心に刻んだのも事実だった。先生になって2度目の新学期が始まったばかり。十数年前の、まだ初々しい頃のことである。
 それ以後も、しばらく、父と妹、そして僕の3人の生活が続く。病院通いをしなくていいようになった分、気分的にはゆとりが持てたような気もするが、何かにつけて不便さを感じるのは相変わらずだった。家事についてもそうだし、妹にとっては家族の中で唯一の同姓(女性)がいなくなったわけだから、はるかに辛かったと思う。また、父にしても、かけがえのない人生の伴侶を失ったことは、心に大きな空白ができたに違いない。そう考えると、僕が一番、気持ちの上ではゆとりがあったのかもしれない。
 周囲の人からは、「大変でしょう…」「がんばってね…」の励ましの声とともに、何かにつけて援助を受けた。でも、そう言われれば言われるほど、自分自身が強くなるというか、そんなこと言ってくれなくても大丈夫だから…という気持ちが起こってきた。もう普通でいい、いつまでも(母が死んだことを)特別なことだといって引きずりたくない…。そんな気持ちがあったのかもしれない。
 当時のこと…。今となっては、すでに過去のものとして余裕をもって語れるが、これも“母のおかげ”かもしれないと思う時がある。自分がここまで強くなれたのも、死という別れを通して母が僕に教えてくれた最大の教育であったという気がする。親離れというにはあまりにも突然で、辛いことだったが、それだからこそ親の思いを心に刻むことができたし、親への依存心をいい形で払拭することができた。もし、今も母が生きていたとしたら、僕自身、もっと甘い人間になっていただろうと思う。そういう意味では、母がこういう形で去っていったことが、かえって僕を一回り大きな人間に成長させてくれたとも言える。

 さて、3号にわたって僕自身のことをいろいろと書いてきたが、皆さんの中には、これ以上に辛く悲しい経験をしてきた人もいるだろう。一方的に僕のことばかり書いて申し訳なかったが、僕という人間の一端を知ってもらう意味では、無駄にはならないだろう。