|
あなたにとっての「先生」は?
自分にとって「先生」と呼べる人・・・。なにも学校の先生に限ったことじゃないが、その人から大きな影響を受け、生き方や考え方、職業選択、あるいはその後の人生までもが大きく変わってしまうことがある。
僕自身も、現在の“教師”という仕事を選んだ理由。その中でも理科という教科を専攻し、一面では、本を読んだり、こんなふうに文章を書くことが苦にならないということ・・・。そういったことの背景には、どこか、今まで接してきた「先生」に影響されている部分があるような気がしてならない。
まず、僕が教師という職業に就こうと思ったこと。それは、小学校1・2年の担任だった藤原先生の影響が大きい。もちろん、まだ小学生になったばかりの頃だったから、その当時の僕に、自分の将来についての具体的な考えなどあるはずがない。でも、藤原先生から感じた「教える」ということに対する情熱、それは「思いやり」に満ちた「やさしさ」が基本なんだということ・・・。当時、幼心に実感として伝わってきた、先生の心のこもった真摯な態度は、その後、僕自身が教師への道を選ぶ大きなキッカケになったように思う。
今でも思い出す、子どもと接するときの藤原先生のキラキラと輝いた、楽しそうな顔・・・。当時、すでにオバサンと呼ぶにふさわしい年齢だったが、僕たちと一緒にいる時の優しさに満ちた表情など、先生としてどうあるべきかという意味も含めて、今の僕にとって、大きな心の拠り所になっている。
また、藤原先生には、小学校の卒業式でホッペに“チュッ!”とお別れのしるしをしてもらったこと、卒業してから先生の家に遊びに行って、そのとき出された梅酒で顔を真っ赤にしたことなど、今でも鮮明に覚えている思い出がたくさんある。それらのことも、今の僕にとっては、どこかで心の支えになっているような気がしてならない。
次に、本を読むことが好きで、文章を書くことが苦にならないこと。これは、中学校の国語の先生の影響が大きい。中野先生というこれまたオバサン先生(どうも、僕はオバサン系に弱いようだ)だったが、単に教科書の内容を説明したり語句の解釈をするだけではなく、何とも言えない語り口調で、物語のすばらしさ、自分の気持ちや思いを文章にする楽しさ、そういったことを繰り返し教えてもらった。そして、「どんな勉強も“国語”が基本」「文章が理解できない、漢字が満足に書けないようでは、自分自身が困る」「毎日使う日本語がしっかり読み書きできずに、どうするの」「生きていく上で“国語力”が影響する部分ってすごく大きいんだから」・・・なんてことを、何度も何度も、毎日の授業の中で聞かされてきたような気がする。
さらに、これらの先生以外にも、理科が好きになるキッカケをつくってくれた先生。英語が嫌いになる原因(とはいっても、自分の勉強不足が一番大きいのだが)になった英文法の先生など、中学から高校、大学にかけて、本当にたくさんの先生に影響されつつ、今の自分がある。
そんなふうに考えると、今こうやって教壇に立っている自分はどうなのか。みなさんにとって、果たしてどんな先生なのかと振り返らずにはいられない。たとえほんのささやかな場面でもいい、みなさんにいい影響を与えるような先生でありたいと願っているのだが・・・。現実は●▲★?!。

|