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“一生懸命”を死語にするな!
いつ頃からだろうか、学校生活に限らず広く世の中全般に「物事に一生懸命《いっしょうけんめい》取り組もう」とする風潮が少なくなってきたような気がする。わざわざ自分が苦しんでやらなくても、待っていれば誰かがやってくれるだろうとか、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないのとか、どうも目の前のことを“適当に”すませてしまおうとしている感じがしてならない。
別に一生懸命やろうが、やるまいが、結果なんて同じようなもの、たかがしれてるよ・・・とか、やらなくたって何とかなるよ・・・などと勝手な理由をつけて、自分自身を正当化し、納得させてしまう。今までの経験から考えても、それで通用してきた面が少なからずあるから、「それでいいや」と思うのかもしれないが、果たして本当にそれでいいものなのだろうか。
これまでの人生の中で、みんなにも一つや二つ、何かに一生懸命打ち込んだ経験があると思う。クラブ活動だとか趣味だとか、あるいは家の手伝いひとつにしたってそうだ。他の人から見れば「そんなことぐらいで」と思えるような小さなことでも、自分の持てる力をすべて出しきって物事をやり遂げた後は、いったいどんな気分になるだろう。一生懸命に頑張ったのだから肉体的に疲れるのは当たり前だが、精神的にはどうだろう。きっと、肉体的な疲れ以上に、それを打ち消すに十分な、何ともいえない満足感や充実感が、心の中に広がっていくと思う。
この世の中、ある意味では結果だけを求め、評価しがちだ。でも、少なくとも学校という世界の中にあっては、その過程で積み重ねられる“ひたむきな努力”、“一生懸命やっている姿”を見過ごされることはない。努力する姿は、どこかで必ず認められるものだし、報われるものだ。
もちろん、そうなることを期待して努力するなどということは、本来の意味からすればおかしいが、心の支え、励みとして常に持ち、『苦あれば楽あり』の心意気で何事にも取り組んでほしいと思う。学校というところは、そういった経験を積み重ねつつ、自分を磨いて行くところ。そういう場所なんだから・・・。

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