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“陽転思考”・・・同じことでも、受けとめ方しだい
あるがままを受け入れ、あくまでも“自然体”で生きている人。画家でもあり、人前で話しもする。木綿を藍で染めた質素な服を身にまとい、終始、にこやかな表情で人に接する。そんな人、佐藤勝彦さんが、著書『ええがな・ええがな』でこんなことを言っている。
真実といえばたいそうな感じがするが、何のことはない。思い方を変えれば、いつでもわかることなのだ。神の存在にしたって、あるかどうかを議論して勝った負けたで話がすむものではない。理屈を抜きにして思い方を変えてみれば、存在すると思えば思えるし、存在しないと思えば存在しないのであって、要は思い方によってどうにでもなるということなのだ。
快川和尚が、心頭を滅却すれば火もまた涼しと言ったように、思い方によってはどうにでもなる。熱いものが涼しいとは誰でも信じ難いと思うであろうが、心の持ち方、言い換えれば思い方を修練したら、だんだんとできるものだといえる。
自分たちの毎日の小さな出来事も同じことで、何事も神のおぼしめしだと思うことを毎日毎日続けておれば、だんだんと本当のようになって、その方がどんなに幸せかを知るようになる。ケガをしても、神様のおぼしめしでこれから気をつけるようにと言われていると思えば何のことはない。痛みなんかどこかへ吹っ飛んでしまう。お金をなくした時でも、これから気をつけなさいよと言って下さっているんだとか、お金なんぞ始めからなかったんだとか、いろいろな悩みを消す工夫をすれば、自分なりに元気を取り戻せる。これも神がそう思わしめて下さったのだと思えば、はじめの腹立たしさや悔しさが、いつの間にやら感謝に変わってくる。
人間は、こんな便利な心というものを与えてもらっているんだから、しっかり使わんともったいない。同じことでも思い方しだいだ。思い方しだいで、自分が選ばれているとか、自分は神様に守られているとか、いくらでも思うことができるものだ。しかし、そうは言っても人間だから、こだわったり腹を立てたりすることは起きる。その時はその時、自分を反省するなどして、自分で自分をいい方へ向かわせるよう、思い方を変えればいい・・・。
さて、みなさんはどんなふうに感じただろう。神の存在なんて言われると、ちょっとピンとこない面もあるかもしれないが、「なるほど」と共感する部分もたくさんあったに違いない。
何かをしようとするとき、まず何よりもそのマイナス面に目がいき、「こんなことしたって、何もならない」「こんな条件ではどうせ無理だ。やる気もでない」と言う人がいる。やる前から、勝手な理由をつけて逃れようとしているのだ。たぶん、するのが嫌なのだろうが、何もしないうちから結果なんてわかるのだろうか。
確かに、これまでの経験から、ある程度の予測はつくかもしれない。でも、やり方を変え、努力してみれば、もしかすると違った結果が生まれるかもしれないのだ。ふだんなら、コップ半分の水に対して「なんだ半分しかないじゃないか」と思うのに、いざ、これが砂漠をさまよっている時なら「よかった、半分もある」と、そのありがたさに大感激するだろう。
僕自身、毎日の生活で、こんなふうに物事のプラス面を感じられるような自分でありたいと願っている。みなさんは?

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